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経営理念・沿革

経営理念

優れた建材製品の製造・販売を通じ、より良い住空間の創造につとめ、
もって社会の発展に寄与し、強い総合建材メーカーとなる。

この経営理念のなかで、私たちノダが特にこだわっているのは、「強い総合建材メーカーになる」の部分です。
どれだけ立派な会社でも、赤字の会社は「納税の義務」という最低限の社会的責任も果たすことはできません。社員の雇用や生活を守り、ノダの事業にも密接に関わる地球環境への貢献を果たし、地域社会にも貢献するためには、充分な収益をあげる強い企業体質が不可欠です。
そして持続的に収益をあげつつ成長を続けるには、社会の役に立ち、お客様に喜んでいただけるものづくり、環境負荷の低い持続可能なものづくりが必要だと考えています。

ノダの経営理念は非常にシンプルです。ですがシンプルな一文に意外と深い、ノダの思いと決意が込められています。

沿革

1902年に静岡県内の小さな材木店として創業。二度の世界大戦、関東大震災、オイルショック、バブル崩壊、リーマンショックなどいくつもの荒波を乗り越え、その間に事業分野は合板メーカー、さらにハードボードやMDFなど繊維板のメーカー、そして総合建材メーカーへと姿を変えながら現在にいたっています。

もちろん、長い歴史を持つ企業=良い企業ではありませんが、時代に合った自己変革を常に行い、持続的成長が可能な企業こそ、真に優良な企業と言えるのではないでしょうか。

木材・製材期(1902-1933) 静岡県で材木店として創業

ノダは山林の伐出と木材の売買を行う会社として、1902年(明治35年)にスタートしました。
その後現在の富士川事業所に製材工場を建設し、製材業、製函業(木材を利用して箱をつくる事業)へと事業を拡大しながら、木材を原料とするいろいろな技術の蓄積が始まりました。
合板期(1934-1959) 株式会社化して日本屈指の合板メーカーに躍進

1934年、合板製造業に事業を転換したところから、ノダは急速に拡大をはじめます。
4年後の1938年には株式会社として設立。その後長く業界で親しまれる「野田合板株式会社」の誕生です。
野田合板は第二次世界大戦後、当時まだ日本製品に対する海外の評価も低い時代に、積極的に合板を輸出し、「NODACO」ブランドとして欧米に日本製品の品質の確かさを知らしめました。
1963年~1971年には9年連続国内企業で合板輸出量トップを記録しています。
加工建材期(1960-1986) 技術の蓄積が進み現在のノダの基礎を形成

その後加工建材分野に進出したノダは、1972年に低ホルムアルデヒド合板を開発しました。
ホルムアルデヒドは、後にシックハウス症候群などで問題となる物質です。
さらに1976年に発売した外装下地材「ノダラスカット」は業界で初めて「日本発明大賞発明功労賞を受賞し、開発後40年を経た今も「地震に強いノダラスカット」として販売される業界でも異例のロングセラー商品となっています。
そして、1984年に業界初の「トータルコーディネート」を提案した「ノダハウスキット」シリーズは、開発・生産時点から住空間のトータルコーディネートという概念を盛り込み、組み合わせて利用することを前提としたシステマティックな建材商品群です。
ハウスキットシリーズは、ノダの総合建材メーカーとしての評価を決定づける画期的商品となりました。
総合建材期(1987- ) 社名をあらため、木質建材の総合メーカーとしての地歩を確立

1989年、名実ともに「住まいの総合建材メーカー」となる決意を内外に示すべく、長年親しまれた「野田合板株式会社」から「株式会社ノダ」に社名を変更します。
その後次々に国内の建材生産設備が拡充され、またインドネシアには合弁会社「スラインダー社」を設立。製品ラインナップも一気に拡充されました。
近年はユニバーサルデザインのコンセプトを取り入れた福祉・介護向け製品(UD製品)を積極的に展開し、全国のショールームもUD製品の効果を実際に体感できるスペースとしてリニューアル。業界でも先駆的な取り組みを続けています。
また2015年には静岡県の林業政策に連動して富士川事業所に新合板工場を建設。国内人工林の荒廃が進む日本の森林活性にも貢献するプロジェクトを始動させています。

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